本文是一篇日语论文,本文在与原著《聊斋志异》、《竹青》进行比较的基础上,对太宰治的主要登场人物造型进行了分析,关注“变身”这一主题,分析了作品中的四次变身,最后阐明了作品的创作动机和创作意图。
第一章 太宰治による人物像の変化
1.1 魚容――ただの貧乏書生から矛盾だらけの人間に
まず、『聊斎志異』「竹青」では、主人公の魚容は「湖南人。談者忘其郡邑。家甚貧。」15と極簡単に紹介されている。一方、太宰治「竹青」では、『聊斎志異』の冒頭における主人公の貧乏書生という人物設定をそのまま採用したが、より詳しく魚容の出身、容貌、学問への志に至るまで描いている。
『聊斎志異』「竹青」の「湖南人。談者忘其郡邑。家甚貧。」という 12 文字しかない極簡単な紹介と比べると、太宰は細かく魚容を描いた。貧乏書生の魚容は、子供の頃から学問の道に志しているが、現実生活は望み通りにはいかないのである。小さい頃、早くも両親に亡くなられ、親戚の家を転々して育って、財産を失い、厄介者の扱いを受け、酒飲みでわるごすい伯父に強いられて、痩せてひからびた醜い女をめとったという悲惨な状況に陥ったのが彼の現実である。
太宰治が描いた魚容について、「原典にはここにあたる部分は“家甚貧”の三文字だけであるが、太宰はフィクションによって、酒飲みでわるごすい伯父と無知で心もよくない妻を配して魚容の高尚な品格を効果的に描いている」と鈴木二三雄に指摘された。また、村松定孝は「なかなかユーモラスな筆の運ばせ方によって、魚容の間抜けさを印象づけ、読者に一種の落語的親しみを与えている」と論じ、大塚繁樹も同じ見方を示し、「それは後者に本来ないのに加えられてストーリを面白くしており、太宰の道化の現れである」と述べた。そのほか、奥野健男は滑稽さよりも、むしろ「馬鹿にされ虐待される男のかなしさ」と指摘した。以上の論点をまとめてみると、魚容を高尚な品格、滑稽さと間抜けさを持つ貧乏書生と読み取り、魚容を好意に捉えようとしているのが一般的な読み方だが、本論では、その逆の方向で、魚容を批判的に捉え、魚容の性格に含まれる矛盾性について論じたい。
1.2 竹青――理想の女性から神の使者に
続いて、作品の中のもう一人の主要登場人物、ヒロインである竹青について検討してみよう。作品のタイトルは「竹青」となることは、竹青の重要性が十分に示されているのであろう。原典では、竹青は貧乏書生と仙女との恋愛物語のヒロインとして登場し、文官試験に落第した書生を現実から脱出させる役割を果たしている。貧乏書生にとって、竹青は理想の女性とも言える。しかし、太宰による竹青はこれと違って、神様の使者として存在している。小説では、竹青は二回登場した。一回目は雌の烏の姿で現れ、神様の使いとして、魚容を世話する優しい妻となっている。そして、二回目の登場では、竹青はもう烏ではなく、美女に変身して魚容を漢陽へ誘い、最後は彼を故郷へ帰らせ、やり直させる神の使いとして正体を表し、退場した。これは両作品における竹青という人物像の相違点だと思われる。
竹青の存在は魚容の運命に大きな影響を与え、理想の自分と現実の自分の間で揺れる魚容を結末へと導いていくキーマンともいえる。また、作品のテーマや創作意図と密接に関わっている人物でもある。そのため、太宰治は竹青という登場人物を見過ごすことができない。竹青は小説の中で二回登場し、登場場面も細かく描かれた。一回目の登場では、魚容が烏に変身した後、竹青は一羽の雌の烏として彼の前に現れる。雌烏に声をかけられた魚容は「謝り癖」からとりあえず謝ることにした。そして彼女が自分に尽くすために来たことを知ると、「いやじゃないが」といいながら、「乃公にはちゃんと女房があります。浮気は君子の慎しむところです。あなたは、乃公を邪道に誘惑しようとしている。」と無理に分別顔を装うて言った。
竹青が意図的に魚容に近づき、まだ竹青の正体がわからない魚容は、彼女が自分を「邪道」に誘惑しようとしている存在ではないかと疑っているようである。
第二章 太宰治「竹青」における四回の変身
2.1 魚容の鳥への変身
第一章では、魚容の人物像を分析してみた。理想の自分と現実の自分の間にずれがあるため、矛盾性が生じたのである。実は、この一回目の変身は文官試験に落第した魚容の現実から脱出したい願望の表れだと思われる。落第した魚容は空を飛ぶカラスを見上げ、「からすには、貧富が無くて、仕合せだなあ。」というつぶやきがきっかけで、カラスに変身させた。しかし、神様は、烏としての幸福に溺れ、人間の世界をすっかり忘れた魚容を見て、罰を与えた。それは兵士に撃たれて死ぬことである。魚容はそれで人間の世界に戻った。カラスへの変身は現実から逃避したい願望の表れである。この点については両作品とも言及しているが、太宰はこの魚容の思いを否定し、魚容を人間の世界に戻らせることは太宰の創作意図と関連していると思う。
落第書生の魚容は、この使い烏の群が、嬉々として大空を飛び廻っている様をうらやましがり、烏は仕合せだなあ、と哀れな細い声で呟いて眠るともなく、うとうとしたが、その時、「もし、もし。」と黒衣の男にゆり起されたのである34。
これは作品の中における一回目の変身の場面である。科挙に落第した書生魚容は洞庭湖畔に来て、空を自由に飛び廻っているカラスを羨み、「からすには、貧富が無くて、仕合せだなあ。」とつぶやいた。その場面はちょうど洞庭湖の守護神である呉王様に見られ、「そんなに人の世がいやになって、からすの生涯がうらやましかったら、ちょうどよい。いま黒衣隊が一卒欠けているから」と思った呉王様は、使いである黒衣の男に命じて、薄い黒衣を、寝ている魚容にかぶせ、雄の鳥に変身させた。そして、同じく呉王様の使いである神女竹青も一緒に雌の鳥として姿を現し、優しく魚容の世話を焼く妻として魚容のそばにいてあげた。鳥に変身した魚容は、故郷でいじめられてばかりいた悲惨な生活と違い、とんでもなく幸せな生活を送るようになってきた。
2.2 竹青の神女への変身
二回目では、竹青は雌のカラスから二十歳ばかりの美しい神女へ変身した。この二回目の変身も原典の設定とはほとんど変わらないが、変身の動機また意味は全く違う。第二章では、竹青の人物像を分析してみたが、竹青の役割として、魚容を故郷に帰らせることがあげられた。この重要な役割を果たすには、竹青の神女への変身が求められている。原作と比較しながら、分析を行いたい。まず、『聊齋志異』「竹青」では、その変身の場面はご覧のとおりである。
是夜宿于湖村,秉烛方坐,忽几前如飞鸟飘落;视之,则二十许丽人,冁然曰――“别来无恙乎?”鱼惊问之,曰――“君不识竹青耶?”鱼喜,诘所来。曰――“妾今为汉江神女,返故乡时常少。前乌使两道君情,故来一相聚也37。”原典では、人間に戻った魚容は竹青のことを忘れず、会いたいという魚容の思いに感動させられ、美女に変身した。変身した後、二人で幸せな生活を暮らし始めた。こういう動物から美女への変身も『聊齋志異』でよく見られるパターンである。動物から変身した女たちは大抵書生に恋している。彼女たちは俗世間の先入観から抜け出し、金銭、家柄、権勢で人を判断せず、才能、学問と人柄を重視し、失意書生の紅顔知己になりがちである。このような動物妖怪が書生と付き合う物語は、作者の寂しい生活の中の幻影である。寂しい夜、古びた書斎にある科挙に落第した失意書生を慰めるにはこういう美しくて優しい女性が必要である。作者は自分の豊かな想像力を活かし、動物を美しい女性に変身させるという夢幻的な物語を描くことを通じて、物語で理想の恋を手に入れたことで、現実における寂しさと憂さをはらすことができた。
第三章 悪妻と竹青の融合から見る太宰治の創作意図.................................... 20
3.1 創作動機と社会背景......................................20
3.2 夢幻と現実の融合..........................22
3.3 創作意図...............................................23
おわりに.....................................25
第三章 悪妻と竹青の融合から見る太宰治の創作意図
3.1 創作動機と社会背景
奥野健男による太宰治の作品発表時期の分類に従えば、「中期」と規定される時期、すなわち太平洋戦争の末期、太宰は井伏夫妻の媒酌で石原美知子と結婚し、妻と誕生した長男正樹を、甲府の妻の実家から三鷹に連れ帰り、空襲と生活物資の窮乏に悩まされながらも、束の間の安堵感に浸っていたのである。
この時期は太宰治の生活的に精神的に最も平静で安定していた時期であり、作品にもゆとりのある雰囲気が溢れていた。生活が安定した昭和十四年以降二十年にかけて、太宰治は外国文学や『聖書』を素材とした「走れメロス」、「女の決闘」、「お伽草紙」、「駈込み訴へ」や「新ハムレット」などがある42。また、中国題材の翻案作品としては、「股をくぐる」、「魚服記」、「清貧譚」、「竹青」などがあげられる。そのうち、『聊斎志異』を翻案した作品は「竹青」だけではなく、その四年前に『聊斎志異』の「黄英」を翻案した作品「清貧譚」もその一つである。これらの作品はすべて太宰治が精神的に安定していた時期に生み出されたものであり、作品の中を健康で明朗な人間性とロマンチシズムとが貫かれている。
発表時期の分類のほかに、相馬正一によれば、太宰文学は作品系列に即して、①私小説的系列、②物語的系列、③中間的系列(または統合的系列)の三つに分類され、例えば、『人間失格』は①に属し、「竹青」は②であるという。そして、「竹青」の属する②の特徴を相馬は、以下の如く規定する。
おわりに
そして、この最後の悪妻から竹青への変身という改編を通して、作家の創作意図を明らかにしようとした。「竹青」を執筆した時期は太宰の創作活動の中期にあたる。太平洋戦争の末期でありながらも、石原美知子と結婚したことで、夫婦和睦、家庭円満を味わい、生活的に精神的に最も平静で安定していた時期と言えよう。竹青は魚容の憧れの理想の女性として、夢幻的な存在であるのに対し、悪妻は魚容を現実に帰らせる媒介役であり、現実的な存在である。悪妻から竹青への変身は夢幻と現実の融合であり、太宰の「現実界の願望」の表れであろう。
以上に述べたことをまとめてみると、悪妻は魚容に不幸をもたらす一要素であるが、竹青は理想の妻の化身である。この太宰による大いに異なった人物像が最後に融合することは、太宰のロマンチシズムの表れではないだろうか。この最後の変身には太宰の幸福への理解が含まれている。『聊齋志異』において、魚容が最後に人間界を去ってしまい、竹青と一緒に仙界で暮らすという結末から、蒲松齢の幸福への定義は人間をやめ、仙人になるのであることがわかった。これに対して、悪妻の竹青への変身を通して、魚容は生涯を平凡に暮らすことができたという結末から、太宰は幸福を夫婦和睦、家庭円満と理解することがわかった。これもその時期の太宰治の安定した家庭生活に関係していると思われている。また、ほぼ同時期に書いた中国題材の小説「惜別」にしても、憧れの作家芥川の中国の古典を翻案した小説「杜子春」にしても、中国古代人の仙人になることへの追求を否定したのが明らかである。これは、もしかして太宰がわれわれ中国人読者に伝えておきたいことではないだろうか。人間界から脱し、仙人になる必要がなく、ただ俗世間を愛憎し、愁殺し、一生そこに没頭し、幸せになれるのである。
参考文献(略)